昨日の記事に続いて、今日は2点ほど書き始めようとしたところにGoogleの噂のYouTube買収のニュース。ここシアトルのローカルTVでも大きく取り上げられていた。本当に16億5000万ドルの価値があるとは、どう考えても無理がある。マネーゲームであり、そこには「ものづくり」という本来の姿が介在していない。そんな買収ゲームには、あまり興味はないところで昨日のブログ記事の続きにもどってみたい。
人工資源:
小学校の社会で30年以上前に教わったのは、「天然資源」を輸入し、加工製品を輸出する加工貿易国の日本経済の姿があった。しかし、本著が言っているとおり、今日の日本は「人工資源」の資本財輸出国という再認識がいる。デイスコ社という会社が、万年筆のペン先を割る技術から半導体の精密切削をする製品(ダイシングソー)開発し、世界シェア70%を持っているという事実。万年筆から半導体という市場転換のパラダイムシフトもすごいが、その技術が何と「髪の毛の断面を22に分割できる」精密技術と聞くと、日本でないと出来ないのではと思わず納得してしまうのは、私だけだろうか?

金融業の素人の拝金主義:
総じてアメリカの会社は、よい技術などを発明、開発するが、ちょっと儲けがでるとそれ以上の改善より株主への配当や経営陣への報酬に消えていると本著は述べていた。今日のYouTube買収はその一例とも取れる。短期決戦で、普通では考えられないお金を手にして早期引退し、悠々自適に暮らすアメリカンドリーム。常に国際競争や政治的圧力のなかで日本の製造業は、儲けを製品化や改善への投資に回しながら生き延びてきた。生涯現役である地道なものづくりに対して、金融などに代表される投資、為替などギャンブル性の強いビジネスは、一発勝負か若い時だけの活躍舞台だろうか? アメリカンドリームは、本当の幸せを個人や国にもたらしているだろうか?

所詮日本人は、金融界ではアラブ、ユダヤ、中国などの民族の歴史・DNAには太刀打ちできないという意見には同感だ。日本のマスコミ論評でも経済面では、銀行や証券の金融業界がいつも登場する。経済を支えている製造業の意見をマスコミ通じて聞くことはあまりない。アメリカ型の経営には、製造業が育つ背景も環境もないから、日本型の経営に合うものと合わないものがあるはずである。つまり、アメリカ型経営の多くは、金融面から来ているように見える。ピーター ドラッガーが触れていた日本人の強さである「家族主義」の本当の意味をよく考えるべきだと思う。

最近消費税についても特にヨーロッパの例も挙げつつ、先進国はもっと消費税が高いし、日本も高くなるのは避けられないような訳のわからない論拠で煙に巻いている。高くなるとしても、日本は本当にどうあるべきなのか? 何がBestなのか、そこには日本流があっても良いはずである。日本は世界第2位の経済大国でありながら、世界に先駆けて政治や経済のあり方を問えず、国連の常任、非常任理事国にさえなれない、情けない現状にある。誇れる根っこは何なのであろうか? これからみても日本の金融業界の実力の低さがわかる。

日米の中小企業の橋渡しをする仕事をしながら、日本の観点にたったブログ記事に偏りすぎだが、今後アメリカ発といえる情報も発信したい。ただアメリカの会社と話をしてみると、彼らが認めているのは、日本の製造技術の高さであり、そうした会社との提携。もうひとつは、経済大国第2位としての市場性。この2点としてのビジネス期待が大きい。しかし、後者だけを見ているアメリカの会社には前者の付加価値も遡及し、そうした会社と組みながら、市場進出も日本だけでなく、広く世界市場をめざすパートナー企業戦略=水平分業を進めていきたい。ソフトウエア製品についていえば、Double Bytesになっていれば、日本語も動き、製品化がほぼ出来ていると考えるのが間違った理解。それは国際化(I18N)が出来ているのであって、ローカライゼーション(L10N)が出来ているのではない。当然製品を日本人好みに操作できるGUIなどの改善からは程遠い。異国で暮らしてみないとわからないことは沢山ある。皮膚感というビジネスの嗅覚は大切にしたい。